大連便り・日本語教師雑記H


大連で1年間を過ごして

  日本スリランカ文化交流協会 町田国際交流センター・外国語部会昨年(2007年)9月から中国遼寧省大連市にある日本語専門学校に日本語教師として赴任して、約1年が過ぎた。

 最初の数か月は毎日の生活に慣れることに精一杯で、本来の日本語を如何にまた何を教えるかということについては、あまり考える余裕がなかった。その後徐々に日常生活に慣れるにつれて、学校、学生や先生方、大連のこと、食習慣などだんだんわかるようになり、より見えるようになってきた。それとともに日本語教授に関する方法や教材なども中国の学生に合うように徐々に工夫を凝らすこともできるようになってきた。そんなふうにあれこれしているうちに、やっと慣れたと思った時はもう1年が終わりかけ、帰国する時になってしまった。1年間ではたいしたことは何もできないと今更ながらに気がついた。しかし、短い期間ではあったが、日本語を教えるだけでなく、私にとっては多くの中国人の友人、知人を得ることができ、貴重な体験をすることができたと言ってもいいだろう。

 中国では日本語は大変人気があり、学習人口は英語に次いで2番目に多い。しかし、遼寧省は他の省に比べると、日本語学習人数が1番多いそうである。その理由として戦前から日本語になじんできたので、その影響で学習する人が多いという話を聞いた。私の教えた学校は3年制で、2年になると毎年12月に行われる「日本語能力試験」の3級を受験し、3年になると2級を受けることになっている。 ところが、3級の受験料は300元を超え、昨年に比べるとかなり値上げされ、受験する学生にとってはかなりの負担のようだ。この能力試験とともにもうひとつ大事な統一試験が年に数回あり、これは遼寧省だけのものである。この試験ではある一定以上の点数を取らなければならない。

 大連といえば、年配の方々には戦前の、かつての植民地としての大連をご存じの方も多い。よく年配の方々が観光旅行で大連を訪れ、自分たちが住んでいたところを訪ねたり、日本と関わりのあったところを見て回っているのをよく目にした。特に、日露戦争の戦跡を見て回るツアーに人気がある。私も1度旅順を訪ねたことがある。大連は他の都市と比べると、日本関係の戦前の建物がかなりたくさん残っていて、それらは人気のある観光名所になっている。

私にとっては戦前の日本との関わりよりは、「アカシアの大連」のイメージが強く、大連といえば真っ先にアカシアが思い浮かぶほど、この花に興味があった。長い間一体どんな花なのか、ぜひともこの花を見てみたいと思っていた。毎年5月の最後の週にアカシア祭りがあり、今回やっとこの花を見ることができた。市内のあちこちにアカシアの木が植えられていて、その美しい花が咲き誇っていた。 しかし、この花は公害に弱いことや手入れが大変だといった理由で、今では市内の限られたところでしか目にすることができない。この花には白とピンクの2色あり、いずれも何とも言えない芳醇な香りがした。市内のスーパーにはアカシアから作られた蜂蜜やワインが売られていて、試しに両方買ってみたが、なかなかアカシアの素晴らしい香りがして、日本に持って帰りたいと思った程であった。

 アカシア祭りには、ちょうど祭りに合わせて日本から東京新宿にある歌声喫茶「ともしび」の常連客で作られた訪問団が大連を訪れ、私たち在留日本人との歌声交流会を開催し、私も友人とともに参加することができた。大きな声で日本やロシアそして中国の歌を参加者とともに歌い、久し振りに日本の雰囲気に浸り、何ともいえない楽しい気分を味わう機会を得ることができた。

 春は4月中旬になってやっと本格的に始まるが、5月になるといろいろな花が咲いて一番良い時期である。驚いたのは、大連にはあちこちで桜の花がたくさん咲いていて、5月になると各地で花見が行われることであった。実際に桜の花を見ることができた。

何といっても冬が一番つらい季節である。10月末には冬が到来し、4月初めまで続く。12月と1月が一番寒さが厳しい。気温はマイナス15度位までになり、外に出ると寒いだけでなく風がものすごく強く、厚いコート、帽子、手袋の3つが必要である。これまでこのような寒さを経験したことがなかったので、あまり外出するのもままならなかった。しかし、地元の人々は寒さをものとせず、大勢の人々が買い物や遊びに外を出歩いているのには驚かされた。

長い冬の後は春が短い。しかも、春とは言っても、毎日はっきりしないどんよりとした日が続き、晴れた日はそう多くない。その春が終わると、待ち焦がれていた夏がやってくる。大連は周囲を海に囲まれているために、海水浴場が何か所もあり、戦前からの海水浴場(「星ヶ浦」という名前であった)が今でも有名で多くの人々が訪れている。6月下旬になると、気温が30度を越え、一気に夏になる。そうなると多くの人々が大連にやって来る。

 気候の変化が大きく、冬の気候が大変厳しい大連であるが、私はこのような大連が大変気に入った。食べ物は北京などとそんなに違いはない。中国人にとっても住んでみたいと思う人気のある都市だそうだが、私もできればもう一度住んでみたいと思う。紀行風土だけでなく、ここに住んでいる人々はとても優しく、私にとって親しみを覚える多くの友人ができた。1年間を振り返ってみて、しみじみそう思うこの頃である。(終わり)

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