大連便り・日本語教師雑記 ⑦

長い冬が終わり、暖かな春を迎えて

 北京で春節を過ごし、その後太原、平遥、寧波、紹興、上海を訪れた後、2月27日に大連に戻って来た。すぐ新学期が始まる。3月1日からスタートである。ただ9月が本来の新学期である。そのためか日本のような始業式とか入学式というものはなく、すぐ当日から授業開始である。

 私は昨年と同じクラスと新入生の1クラスの授業担当で、前者は前にやってきたところから続けて教えるだけなので、楽といえば楽である。後者も昨年9月から教えてきたことの繰り返しで、多少形を変えたり、工夫を加えながら教えることとし、こちらも難しいことは何もないと言ってもいいだろう。

 3・4月とも特別変わったこともなく、授業を進めた。あっという間の2ヶ月であった。私の任期もあと2ヶ月をきる日数となってきた。だんだん残り少なくなってくると、急にやり残したことはないだろうかとか、あそこにまだ行ってないので行ってみたいとか、いろいろなことが浮かんでくる。

 今までは寒い日が多かったので、外出もままならなかった。しかし、5月ともなれば暖かな日が多くなるので、土日には近くの山などに行ってみたいと思うようになり、先日学生と一緒に山に登ってみた。山といってもそんな高い山ではなく、せいぜい1時間もあれば登れる山である。

 また5月下旬には大連の「アカシヤ祭り」がおこなわれるので、ぜひ見てみたいと考えている。

ここでは4月下旬まではまだ寒い日が多く、多少日中暖かな日もあったが、本格的な春の到来は5月まで待たなければならなかった。

 4月中旬大連の街を歩いていて、さくらの花に似た木があるのに気がついた。色といい形といい、そっくりなので、桜だと思ったが確信をもつことが出来なかった。しかし、地元の日本人向けの雑誌(『Look 大連』)に「大連お花見特集」という記事が出ていて、それを見ると大連には桜の名所があり、それらのいくつかが紹介されていた。毎年多くの人がお花見に出かけるという。やはり私が見たのも桜に間違いなかった。それからというもの気をつけて見ていると、あちこちに咲いているのに気がついた。上記の情報誌によると、大連の桜の名所は、

① 中日友好桜花園(開発区砲台山公園)

② ソフトウェアパーク「桜の園」

③ 竜王塘水庫桜花園

④ 白雲山登山道

⑤ 大連理工大学

といった具合に何箇所もある。しかし、残念ながら今年は見に行くことは出来なかった。といって来年見に来られるわけではないが。

 5月になると、1日から4日までは連休が続いた。1日の労働節と土・日を含めて4日間の連休であるが、昨年までは1週間の休みであった。今年から急に短くなり、3日間少なくなった。これまで文字通り1週間休みのゴールデン・ウイーク(黄金周)であったが、政府の考えで今年から変更になったそうである。1週間あればどこか遠くへ旅行に行くことも可能であったのに、大変残念であった。

 遠出は無理なので、近くでどこかに出かけたいと1ヶ月前あたりから考えはじめた。まず思い浮かんだのが、北朝鮮と国境を接する丹東市へ行くことであった。中国人同僚にこの丹東出身の先生がいたので、彼に話すと一緒に行ってくれることとなり、彼以外にもう一人の日本人教師の澤田友二先生と福建省アモイ近くで日本語を教えている山口イツさんも参加することとなり、合計4人で行くことになった。

 5月1日、私はアモイから来られる山口氏を迎えに大連周水子国際空港へ行き、彼女を連れて丹東へ行き、そこで他の2人と落ち合うことにした。

 山口氏は、町田市にお住まいで、‘わんりぃ’の中国語勉強会に参加されていらっしゃったが、昨年9月から日本語教師として、中国に来ている。

 4月始めに大連へ来たいという彼女の希望があったが、すでに丹東に行く予定であったので、「丹東に行きませんか」とお誘いしたところ、「行ってみたい」との返事だったので、このような形になった。 

 大連から丹東までバスで4時間ほどかかった。先生がすでに予約してあった桜花大酒店で落ち合うことができ、チェツクイン後、4人で近くの食堂で夕飯をとった。

 翌日はまず丹東の南端を流れる鴨緑江を見に出かけた。ここはもう北朝鮮と国境を接するところで、川を隔てて真近に北朝鮮を見ることが出来る。川には2本橋が架かっていて、1本は「中朝友誼橋」(元は鴨緑江第二橋梁といい、満州国時代に作られ、その後鴨緑江大橋と変わり、さらに現在の名前に変わる)という名前で、直接北朝鮮の新義州市に行くことが出来る。 

 橋には鉄道と道路が走っている。しかし、鉄道も道路も一方通行のため時間を決めて、通行出来るようになっている。もう1本は「鴨緑江断橋」(元々は鴨緑江橋梁という名であった)という名前で、橋が途中で途切れてしまっている。これは朝鮮戦争当時、中国が北朝鮮を援護したことから、アメリカ軍の攻撃を受けた。物資を輸送する重要な鉄橋であったため1950年破壊されてしまった。その後復旧することなく、途切れたままの形で残っている。

 もちろん2本ともアメリカ軍によって破壊されたが、その後鴨緑江大橋は復旧して、現在の中朝友諠橋となり、鴨緑江橋梁は復旧されることなく鴨緑江断橋となった。

 鴨緑江断橋を多くの観光客と共に渡ってみた。川の途中までしか行けないが、すぐ近くに北朝鮮を見ることが出来、いままで国境というものを身近に感じたことがなかったので、なんだか奇妙な感じであった。

 丹東側は大きなビルがたくさん建ち、観光客があふれているのに、北朝鮮側を見ると人影もなく建物もみすぼらしいものがいくつか建っているだけで、あまりにもそのコントラストに驚いてしまった。夜になると、丹東の街はネオンサインが輝き、橋には明かりがともり、またライトアップされているのに、かの地は黒い闇に覆われているだけであった。

 翌日は虎山長城へ出かけた。ここは万里の長城の東の端で、建造は1469年(明の成化5年)である。1992年に修復が始まり、現在では700mが完成した。修復された長城には7つの敵楼と戦台があり、高さは6m、幅は底部で5m、頂部で4mとなっている。この長城を踏破するには1時間以上かかるが、かなり高低がきついので、もっと時間はかかるかもしれない。

 だんだん登って行くうちに、遠くに北朝鮮が見えてくる。昨日見た風景とは異なり、ここから見える北朝鮮は畑や山林が広がるのどかな農村地帯である。長城を出て戻る際、すぐ近くに国境線が見え、鉄条網線で区切られている。そこまで歩いて行って、鉄条網線の内側に入ることが出来る。そこは両国の緩衝地帯である。皆でそこまで歩いてみた。近くには農作業をする北朝鮮の人や歩いている人の姿が見えた。こんな近くまで北朝鮮側へ近づけるのには驚きであった。 

 3日の最終日は「抗美援朝紀念館」で出かけた。ここは朝鮮戦争の時に、中国が北朝鮮を助けて、韓国とアメリカと戦ったことを記念するもので、当時の資料や実際に使われた兵器などが多数展示されていた。あまりこの戦争については知らなかったので、おおいに勉強になったと言ってもいいだろう。

 3日間の短い丹東訪問であったが、今回は中国と北朝鮮との関係や国境というものを考えさせる旅行であった。出来ればもう一度来てみたと思う。そして、もっと国境沿いの他の都市をも見てみたいと考えている。

 

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