大連だより・日本語教師雑記・A

日々の暮らし

 1週間が終わり、9月10 日(月)は「教師節」で学校は休みである。「教師節」というのは毎年この日に教師の労をねぎらうために設けられた祝日(祝日と言っても教師だけが対象であるが)で、今年で23回目になるそうである。学校は休みのため昼間の授業はなかったが、夕方は学生たちが各教室へ集まり、担当の先生方を招いて、教師へのお礼の言葉を述べたり、歌を歌ってくれたりした。私もいくつかの教室を訪れた。ある教室では学生たちから花束を贈られ、大いに感激した。本来ならこの日に先生方への慰労パーティが開かれるそうであるが、学生たちが集まって先生方を招くことになっているために、前倒しして8日(土)に開催された。市内の大きなホテルの宴会所を会場として、先生方のみならず事務関係の職員まで招かれて開かれた。

開催時間は6時と連絡を受けたが、ある中国人同僚は5時だと言い、別の同僚は3時だと、また6時などとい言う人もいるなど、どういうわけか皆ばらばらである。どれを信じていいのか分からなかったが、5時に事務の人が車で送ってくれたので、ホテルに向かった。会場に着くと、大方の方々はもう来ていて、先生方がいくつかのグループに分かれてトランプをしていた。見ていると、相当の熱の入れ方である。時間がまちまちだったのは、自分の都合でトランプをやる人は早めに来るために3時と言い、やらない人は5時と言っていたのでなかろうか。自分の都合で皆ばらばらなことを言うのは何といっても面白いと感じた。

最初の1時間はまず理事長、学校長その他数人の先生方の挨拶があり、そして食事となった。中国人のお酒の飲み方は相当なもので、ビールのみならず相当強い白酒(50 パーセントもある)をどんどん浴びるように飲むなど、もともとお酒に弱い私にはとてもついていくことは出来ない。しかし、中にはお酒の飲めない先生方もいて、こういう先生方は肩身が狭いようである。食事が一段落すると、今度はカラオケである。中国式宴会では必ずカラオケがつきもので、私も日本の歌を歌わせられたり、踊りに引っぱり出された。何分まるっきりカラオケ嫌いな者にとっては苦痛の時であった。

前回、軍事教練のことを書いたが、その5人の教官がこの席に招かれており、このような席にまで招かれているのには驚かされた。たまたま私の隣に座ったのはまだ20代の軍人で、あまり話しはできなかったが、人民軍の軍人を身近に見ることが出来、彼らの人となりを観察出来た。このような場所にまで招かれているのを見ても、中国では軍人がどのような立場か何となく分かったような気がする。

ここで9月1日から始まった授業の様子を紹介したい。私が担当しているクラスは1年生4クラスであるが、全クラスとも日本語は全くの初心者で、この学校に来て初めて学ぶという学生ばかりである。あるクラスは比較的年齢の高い学生が集まっていて、最高27歳という女性もいる。彼女は何年か日本で暮らしたことがあり、やさしい日本語ならば理解でき、授業中も学生たちが私の言葉を理解出来ないでいると、あれこれ説明をしてくれて、彼女のような女性がいるのが心強い。

学生が少ないクラスは19人、多いクラスは40人とみなばらばらである。各クラス4時間ずつ担当している。学生たちの出身地は地元の庄河市のみならず遼寧省全土、河南省、湖北省、安徽省、吉林省、黒龍江省などにわたり、遠隔地から来ている学生が非常に多い。学生はたとえ地元出身であっても寮に入り生活することになっている。土日曜日は休みなので、地元出身の学生は家に帰るものもいるようである。

学生は全くの初心者ばかりなので、「あいうえお」の書き方と読み方から始まった。これは中国人の先生方が教え、その他の初歩的な説明や練習も彼らが担当し、私は授業に必要な表現や基本的な語句をまず教えた。たとえば、「5ページを開いてください」、「分かりますか」、「質問がありますか」、等の基本的な表現である。

彼らにとってはまず日本語のひらがなとカタカナの違いや発音が大変のようだ。しかし、1ヶ月位を過ぎるとひらがなとカタカナの区別は出来るようになり、この点では問題はなさそうである。ただ発音がかなり難しいようだ。中国では暗記することがかなり重要で、中国人教師の授業では皆が声をだして練習することが最優先で、毎朝授業の前での学生たちの一斉に練習する大きな声があちこちの教室から聞こえてくる。

教科書は『みんなの日本語』(スリーネットワーク)というテキストを使っている。これには全然中国語の説明はない。そのため私にとっては少々使いにくい。私が使っているものは日本から取り寄せたもののようであるが、学生たちが使っているのはすべて中国でコピーしたものらしい。著作権の問題がどうなるのか少々心配である。

中国語ではすべて漢字で表すが、この点で中国の学生は日本で使われている外来語の習得が大変苦手である。例えば、「アメリカ」と言うと、私たちはどこの国をあらわすかすぐ分かるが、中国語だと「美国」と書き、「アメリカ」という元々の発音とは全く離れているため、「アメリカ」と言っても「美国」とは結びつかない。「コンピューター」も中国では「電脳」と書くために、英語を知らない学生たちにはとっては「コンピューター」と言っても分からない。こんな風にカタカナで表す言葉が彼らには難しいようだ。

現在2ヶ月近く経って感じることは、彼らの学ぼうとする熱意に敬服させられることである。もちろん授業中居眠りをしていたり、内職をしていたりする学生もいるが、それはほんの一握りの学生だけである。大方の学生は教師の言う言葉を一言も聞き漏らさないように、教師の一挙一動を見ている。それだけでもやりがいを感じる。こんな風にしてここでの仕事ももう2ヶ月が経とうとしている。
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